横浜磯子教会


タイトル:「御子の復活の必要性」 聖書箇所:「マタイによる福音書 28章1~10節」

 今朝、私たちに与えられました聖書箇所は、御子イエス・キリストの復活についての箇所です。その5・6節にはこう記されていました。「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。』」 イエス様は、確かに復活されました。しかも、肉体を持って復活されました。これは、キリスト教信仰の土台です。その根幹をなす出来事です。
 しかし、とき「復活」が、伝道の妨げになってしまうこともあります。いや、伝道どころか、洗礼を受けた者にとっても、躓きの石となります。確かに、私たちの経験では、当然理解できないことですから、それは致し方ないであるのかもしれません。しかし、今日の説教題にもありますように、実は、御子イエス・キリストは「復活」する必要がありました。もしイエス様の物語が、十字架で、つまり死で終わっていたら、イエス様が亡くなられたというところで終わっていたなら、それは私たちの救いの物語にはなりません。せいぜい「歴史上の偉人の物語」程度でした。
 今朝は、なぜ復活がキリスト教信仰の土台であるのか?つまり、なぜ御子は復活する必要があったのか?ということについて考えつつ、ご一緒に御言葉に聞いて参りたいと思います。


 まずは、1節にはこうありました。「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」 この墓を見に行った2人のマリアは、今日与えられている聖書箇所の前のページ、27章56節に記されている「マグダラのマリア」と「ヤコブとヨセフの母マリア」のことです。この2人のマリアは、イエス様の十字架での死を目撃していた人です。イエス様が、十字架上で、息を引き取られたのを、見ていた人です。さらに、61節に記されているように、2人のマリアは、イエス様が墓に葬られる様子も見ていました。そのような彼女たちが、「墓を見に行った」のです。
 そして、2・3節にはこうあります。「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。」 この様子を見ていた見張りの番兵たちは、4節にあるように、「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のように」なりました。彼らは、言葉を失います。それは、感動のあまり、言葉を失ったのではなく、恐ろしさのあまりに、言葉を失ったのです。
 この反応は、当然と言えば、そうでしょう。大きな地震が起こり、目の前に、天使が、来たのです。しかも、その天使は、雪のように真っ白な服を着ていて、稲妻のように輝いた姿です。おそらく、眩しくて、目を開けていられないほどの輝きだったのでしょう。しかも、死んだはずの人が、そこにいないのです。そんなことが目の前で起こったのです。見張りの番兵たちは、混乱したでしょう。最初は「夢か幻かを見ている」と思ったかもしれません。しかし、それが現実だと気が付いたとき、彼らは不安を感じます。恐れを・恐ろしさを感じます。
 これは、2人のマリアも同じでした。彼女たちも、混乱し、不安になり、恐れを・恐ろしさを感じます。だからこそ、天使は、彼女たちに、「恐れるな」と命じます。5~7節にはこうあります。「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。確かに、あなたがたに伝えました。』」 この命令、「恐れることはない」という命令によって、彼女たちの恐れや不安は、消えるはずでした。なぜなら、この命令は、天使を通して伝えられた、父なる神様の命令であるからです。天使とは、天におられる父なる神様の使い・使者です。天使は、この「恐れるな」という天の父なる神様の命令を、彼女たちに、伝えたのです。ですから、「恐れることはない」という父なる神様の命令によって、彼女たちの恐れや不安は、消えるはずでした。

 しかし、〈そうは言っても、ただ命じられただけで、恐れが消えるなんてことはない〉、そう思われるかもしれません。そんなのは、無茶苦茶だと、思われるかもしれません。しかし、ここで、父なる神様は、出来もしない命令を、彼女たちに押し付けているのではありません。確かに、彼女たちは、混乱し、不安になり、恐れを・恐ろしさを感じます。それは、天使が現れたことと、イエス様が葬られたところにいないから、自分たちが確かに見ていた埋葬された墓が空であったからです。その状態であったら、確かに、混乱し、不安になります。恐れを感じます。しかし、イエス様が墓にいない・復活されたというのは、恐れる事柄ではありません。むしろ、喜ぶべき事柄です。イエス様が復活されたという出来事は、喜びです。なぜなら、復活されたということは、〈イエス様は、苦しみ・死んで終わったのではない〉からです。イエス様が復活されたということは、イエス様は、死に勝利されたということです。
 「ローマの信徒への手紙」‬の6‬章‭23節には、こうあります。‬「罪が支払う報酬は死です。」死は、私たちにとって、圧倒的な力を持っています。それは、私たちが罪人であるからです。聖書が語る罪とは、神様から離れ、神様を中心としないことです。自分自身を中心とすることです。私たちは、この1週間、どれだけ、罪を犯したのでしょうか。どれだけ、神様から離れたでしょうか。どれだけ、神様を傷付け、また神様が愛する隣人を傷付けたでしょうか。自分勝手な都合で、罪を犯したでしょうか。それは実に、枚挙にいとまがないことです。数え切れないことです。私たちには、罪に抗う術はありません。つまりそれは、先程の「ローマの信徒への手紙」の言葉‬に従えば、私たちは、死に抗うこと・抵抗することができない、ということです。私たちは、自分で自分の罪を償うことすら、できないのですから。私たちは、罪の力の支配下に、すなわち、死の力の支配下にあるのです。‬‬
 しかし、父なる神様は、罪の力の支配下に・死の力の支配下にある私たちを、そのままにはしておかれません。なぜなら、父なる神様の本質のひとつは、「愛」だからです。しかし、だからと言って、父なる神様は、私たちの罪を帳消しにはなさいません。私たちが罪を犯したという事実を、そのまま水に流し、無かったことにはなさいません。父なる神様は、その償いを、求められます。言い換えれば、父なる神は、罪を裁かれるのです。罪を裁き、その力を無くすのです。そうして初めて、罪の力の支配下に・死の力の支配下にある私たちは、その支配から解放されるのです。父なる神様は、罪という牢獄の中にいる私たちを解放しようとしてくださいます。しかし、そのとき、父なる神様は、牢獄そのものを壊されるのではありません。牢獄を消されたりはしません。そうではなく、牢獄から解放するための鍵を与えてくださるのです。
 だからこそ、父なる神様は、その独り子である御子イエス・キリストを、この世へと遣わされたのです。私たちは、自分で自分の罪を償うことはできません。私たちは、罪の力の支配下・死の力の支配下にあります。そのような私たちに代わって、御子イエス・キリストが、十字架で、私たちの罪を償ってくださったのです。
 しかし、これだけでは、まだ罪の力は無くなっていません。つまり、御子イエス・キリストが、十字架で、私たちの罪を償ってくださり、そして、死んで終わったのではありません。それでは、まだ罪の力・死の力は無くなっていません。だからこそ、父なる神様は、その独り子である御子イエス・キリストを、死の力に打ち勝たせ、勝利させ、復活させられたのです。
 天使は、6節で、このことを告げたのです。そこには、こうあります。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」 この「復活なさった」という言葉ですが、これは受動態・受身形です。敬語を無くして、直訳すると、「イエス様は、復活させられた」となります。誰にでしょうか? イエス様は、誰によって、復活させられたのでしょうか? それは、父なる神様以外にあり得ません。罪の力・死の力に、勝利できる力をお持ちの方は、父なる神様です。父なる神様が、御子イエス・キリストを、復活させたのです。御子イエス・キリストは、父なる神様によって、復活させられたのです。そして、死の力・罪の力は、無くなりました。このようにして、父なる神様は、御子イエス・キリストを復活させることによって、死の力・罪の力を、無くされました。そして、罪の力の支配下に・死の力の支配下にある私たちを、その支配から解放されたのです。ご自身の支配下に移してくださったのです。御子の復活は、無ければならないこと、必要なことなのです。
 もしかしたら、皆様の中には、「この聖書箇所を、なぜイースターとは全然関係ないときに選んだのだろう?」と疑問に思われた方もあるかもしれません。なぜかと言われれば、私たちはもうすぐアドベントに入るからです。私たちは、2週間後の12月の第1の礼拝より、クリスマスへの備えのときであるアドベントに入ります。御子イエス・キリストの地上での誕生をお祝いするクリスマスへの備えのときです。しかし、父なる神さまが、御子を地上へと送られた理由は、私たちを、罪の支配からご自身の支配に取り戻すためです。それは、具体的には、御子の十字架の死と復活によってです。クリスマスは、十字架の死と復活への備え・準備なのです。だから、今朝の私たちには、この箇所が与えられたのです。
 その与えられている聖書に戻りますが、そういうわけで、5節で天使は「恐れることはない」と2人のマリアたちに命じるのです。彼女たちは、もう恐れる必要はないはずなのです。御子イエス・キリストが葬られた場所にいない・墓にいないというのは、御子イエス・キリストが復活されたということは、父なる神様が、人間を捉えている罪の力を無力なものにされた証拠なのです。

 しかし、彼女たちは、まだ恐れています。8節で「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」こうある通りです。彼女たちは、まだ恐れています。もう恐れる必要もなく、父なる神様から「恐れてはならない」と命じられているのにも関わらず、いまだに恐れています。混乱し、不安の中にあります。
 しかし、それは、私たちも同じなのではないでしょうか。私たちが洗礼を受けるとき、御子イエス・キリストに繋がれます。つまり、死に勝利された方に繋がれ、一体とされます。このとき、私たちも死への勝利・罪への勝利に与ります。死への勝利・罪への勝利に参加します。その部分となります。しかし、ときに、罪の力の方が、私たちには、リアリティがあるように思います。例えば、神様を愛する隣人を傷付けたと自覚したとき。そして、それを通して、神様を傷付けていると自覚したとき。自分が神様から離れている罪人であると自覚したとき。そういう時、私たちには、御子イエス・キリストに繋がれているという事実より、罪の力の方が、リアリティがあるように思います。
 いやだからこそ、イエス様は、9節でこうおっしゃるのです。「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」 2人のマリアが、イエス様の復活の意味を分からないまま、天使に言われたことをしようとしたとき、まだ恐れがあるとき、イエス様が会いに来てくださったのです。そのときイエス様は「おはよう」と言われます。この「おはよう」という言葉ですが、これを、文脈を気にせずに直訳すると「喜びなさい」となります。新共同訳の1個前の口語訳では「平安あれ」と訳されています。このとき、イエス様は「喜びなさい」・「平安あれ」と、そう命じられるのです。「もう恐れる必要はない。私は死に勝利し、罪に勝利し、復活した。だから、もう恐れる必要はない。ただ、喜びがあるだけである。」そう言われるのです。「平安あれ」・「喜びなさい」・「おはよう」と、そう言われるのです。このとき、私たちには、復活の意味が全て知らされるのです。
 そして、この言葉を聞いた2人のマリアは、「イエスの足を抱き」ます。つまり、イエス様は肉体を持って復活されたのです。イエス様は、決して霊的に復活された、いわば「幽霊」となって、この2人のマリアに出会ったのではありません。そうであったならば、イエス様は死の力に勝利していないことになります。イエス様が死の力に勝利したのですから、十字架の前と同じ肉体を持って復活されたのです。
 そのお方が、「おはよう」と言われるのです。罪の力の方にリアリティを感じてしまう私たちに、出会ってくださるのです。死の力に・罪の力に勝利された方が、私たちを罪の支配から解放したくださった方が、イエス様が、私たちに出会ってくださるのです。
 実に、この出会いは礼拝のときに起こっているのです。礼拝の度ごとに、イエス様は、私たちに「おはよう」と言われるのです。「もう恐れる必要はない。喜びなさい。」と言われるのです。私たちは罪人ですから、いつもいつもその声を聞き取ることは、難しいでしょう。
 いやだからこそ、イエス様は、私たちを、今朝のこの礼拝に招いてくださったのです。だから、私たちは、今朝ここにいるのです。だから、今朝この聖書箇所が与えられたのです。


 この説教の最初で、「『復活』は、私たちの経験では理解できないことであるから、ときに躓きの石となる」ということを申しました。それはその通りなのです。いやだからこそ、復活とは、信仰を与えられて初めて分かること、ピンと来ることなのです。よく日本人は洗礼を薦められると、こう言います。「きちんと理解してから」しかし、そんな日は来ません。私たちが、神様のことを知り尽くすことなど、不可能です。十字架の出来事を、復活の意味を、頭で完全に理解しようというのは、無理な話です。私たちは、それを知りたいと願いますが、しかしそれは「二の次」の事柄です。第2段階の事柄です。それでは、第1段階の事柄とは何か? それは、神様に、私たちの一切を明け渡すこと、お委ねすることです。御子が、父なる神の「人間をそのままにしておかれない」という意志に従い、この地上に来られ、十字架の死に、復活させられたように、父なる神の意志に従順だったこと、つまり、御子がご自身を父なる神様に明け渡したことに応えて、私たちも一切を明け渡すことです。要するに、自分の持っているもの全てを手放し、色々な前提や思い込みや経験を捨て、一切をお委ねすることです。「一切をお委ねする」ことが、信仰です。そうすることができたとき、いやそうされたとき、私たちは「復活」が分かるのです。ピンと来るのです。礼拝でのイエス様の出会いに気付かされるのです。


 今から私たちは、聖餐に与ります。このとき、御子が、十字架で流された血である〔を表す〕ぶどう酒と、肉体である〔を表す〕パンとを頂きます。このとき、私たちは御子の十字架を思い起こすと共に、それが復活された肉体であることを覚えたいと願います。あのぶどう酒とパンこそが、私たちにとって、最もリアリティのあるものなのです。
 この聖餐に生かされて、そのリアリティに生かされ、今週も共に歩んで参りたいと願います。イエス様との出会い、イエス様の「もう恐れる必要はない。喜びなさい。」「おはよう」との声に押し出されて、今週も生きて参りたいと、そう願うのです。


父と子と聖霊の御名によって アーメン

(2024年11月17日 主日礼拝)
日付2025-01-19
号数 第 272 号 掲載
メッセンジャー内田 幸四郎 神学生

牧師説教集バックナンバー 過去の説教集がこちらからご覧いただけます。

2024
題名 主の霊がとどまる   聖書 イザヤ書 11章1節~10節   2024年12月08日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 天の国でいちばん偉い者   聖書 マタイによる福音書 18章1~5節   2024年11月23日  中村 清 牧師 
題名 神と向き合う生活   聖書 ルカによる福音書 21章34~38節   2024年11月07日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 平和の十字架を担う   聖書 マタイによる福音書 10章34~39節   2024年09月21日  鳴坂 明人 牧師 
題名 しかし、教会は   聖書 使徒言行録 12章1~5節   2024年09月09日  中村 清 牧師 
題名 救いの日は近い   聖書 ルカによる福音書 21章25~28節   2024年08月04日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 激しい非難から賛美へ   聖書 使徒言行録 11章 1~18節   2024年06月15日  中村 清 牧師 
題名 命を勝ち取る   聖書 ルカによる福音書 21章10~19節   2024年05月27日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 石は転がされた   聖書 マルコによる福音書 16章1~4節   2024年05月06日  中村 清 牧師 
題名 上着を脱ぎ捨てて   聖書 マルコによる福音書 10章46~52節   2024年04月30日  中村 清 牧師 
題名 信仰のない弟子   聖書 ルカによる福音書 22章1~6節   2024年04月21日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 終末に向かって生きる   聖書 ルカによる福音書 21章5~9節   2024年04月13日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 向こう岸に渡ろう   聖書 マルコによる福音書 4章35~41節   2024年03月08日  中村 清牧師 
題名 控えめな生き方   聖書 ルカによる福音書 20章45~47節   2024年01月20日  鳴坂 明人 副牧師 
2023
題名 神の熱意が   聖書 イザヤ書 9章5~6節、ヨハネによる福音書 19章28~30節   2023年12月10日  中村 清 牧師 
題名 終末への希望   聖書 旧約聖書:ネヘミヤ記8章9-12節、新約聖書:マタイによる福音書27章3-5節、ヨハネの黙示録21章   2023年11月16日  内田 幸四郎 神学生 
題名 主よ、終わりまで   聖書 創世記 39章1~9節   2023年10月09日  中村 清 牧師 
題名 神のものとは何か   聖書 ルカによる福音書 20章20~26節   2023年10月05日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 剣を打ち直して鋤とする   聖書 ミカ書 4章1~5節   2023年08月19日  中村 清 牧師 
題名 イエスとは誰か   聖書 ルカによる福音書 20章1~8節   2023年07月16日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 導く人がいなければ   聖書 使徒言行録8章26~40節   2023年07月03日  中村 清 牧師 
題名 平和への道   聖書 ルカによる福音書 19章39~44節   2023年05月27日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 天の平和とイエスの最期   聖書 ルカによる福音書 19章28~40節   2023年05月06日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 平和の王イエス   聖書 ルカによる福音書 19章28~38節   2023年04月23日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 死と証し   聖書 ダニエル書 6章11節、使徒言行録 7章54~60節   2023年03月26日  中村 清 牧師 
題名 平和の王イエス   聖書 ルカによる福音書 19章28~38節   2023年03月18日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 ここにとどまる ~マハナイム~   聖書 創世記32章 14~22節   2023年02月26日  中村 清 牧師 
題名 良い僕と悪い僕   聖書 ルカによる福音書 19章11~27節   2023年01月15日  鳴坂 明人 副牧師 
2022
題名 神の愛 主イエスの誕生   聖書 ルカによる福音書 2章1~7節   2022年12月25日  中村 清 牧師 
題名 希望の光   聖書 創世記 3章1~13節、ルカによる福音書 22章54~62節   2022年11月13日  内田 幸四郎 神学生 
題名 しかし、神は   聖書 創世記 31章 1~16節   2022年10月09日  中村 清 牧師 
題名 敵を愛する信仰   聖書 マタイによる福音書 5章43~48節   2022年09月18日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 教会の成長   聖書 使徒言行録 5章12~16節   2022年08月17日  中村 清 牧師 
題名 天に富を積む生き方   聖書 ルカによる福音書 18章18~23節   2022年07月10日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 家中に響いた   聖書 使徒言行録 2章1~4節   2022年06月20日  中村 清 牧師 
題名 主の憐れみは決して尽きない(2022年度教会標語)   聖書 哀歌 3章17~24節   2022年05月08日  中村 清 牧師 
題名 祈り抜くイエス   聖書 マルコによる福音書14章32節~42節   2022年05月01日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 信仰の必須条件   聖書 ルカによる福音書 18章15~17節   2022年04月03日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 新たな出発   聖書 創世記 29章1節~13節   2022年04月03日  中村 清 牧師 
題名 わたしは知らなかった   聖書 創世記28章7~17節   2022年03月21日  中村 清 牧師 
題名 へりくだった信仰   聖書 ルカによる福音書 18章9~14節   2022年02月15日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 あなたの庭で過ごす   聖書 詩編84編 1~13節   2022年01月27日  中村 清 牧師 
2021
題名 祈り続けること   聖書 ルカによる福音書 18章1節~8節   2021年12月20日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 神の語りかけ   聖書 ルカによる福音書7章11節~17節   2021年11月21日  内田 幸四郎 神学生 
題名 見よ、神の業を   聖書 創世記 25章1節~6節   2021年10月31日  中村 清 牧師 
題名 神の国はいつ来るのか   聖書 ルカによる福音書17章20節~21節   2021年10月09日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 平和をつくる者   聖書 マタイによる福音書 5章9節   2021年08月30日  中村 清 牧師 
題名 誰の僕なのか   聖書 ルカによる福音書 17章7-10節   2021年07月18日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 聖霊降臨 異なる言葉で   聖書 使徒言行録 2章1~13節   2021年06月14日  中村 清 牧師 
題名 神による価値の大逆転   聖書 ルカによる福音書 16章19~31節   2021年05月10日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 あれは、主だ   聖書 ヨハネによる福音書 21章1~7節   2021年04月18日  中村 清 牧師 
題名 このお方に聞きなさい   聖書 マタイによる福音書 17章1節~8節、申命記 5章1節   2021年04月04日  中村 清 牧師 
題名 神の喜び   聖書 ルカによる福音書 15章1節~10節   2021年04月04日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 忠実な信仰と心   聖書 サムエル記上 16章7節、ルカによる福音書 16章14~18節   2021年03月21日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 わたしのもとに来なさい   聖書 創世記19章12~22節、マタイによる福音書11章28~30節   2021年03月14日  中村 清 牧師 
題名 この目で救いを見た   聖書 ルカによる福音書 2章 22~35節   2021年01月31日  鳴坂 明人 副牧師 
2020
題名 さあ、ベツレヘムへ行こう   聖書 ルカによる福音書 2章8節~20節   2020年12月20日  中村 清 牧師 
題名 奨励『愛には力がある』   聖書 雅歌8章6~7節、ルカによる福音書10章23~37節、テサロニケの信徒への手紙一5章16~19節   2020年11月08日  東京神学大学一年生 内田幸四郎神学生 
題名 目を上げて見なさい   聖書 創世記 13章 8節~18節   2020年10月11日  中村 清 牧師 
題名 神の喜び   聖書 ルカによる福音書 15章1~10節   2020年09月13日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 平和の福音を告げよ   聖書 エフェソの信徒への手紙6章10~18節   2020年08月10日  中村 清 牧師 
題名 神の評価と自己評価   聖書 ルカによる福音書 14章15節~24節   2020年07月13日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 信仰の戦いを戦い抜け   聖書 テモテへの手紙(一)6章 11節~16節   2020年06月15日  中村 清 牧師 
題名 健康と生命を守る神   聖書 ルカによる福音書 14章1節~6節   2020年05月16日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 「神様はあなたを呼ばれる」   聖書 創世記11章27節~32節、12章1節~7節   2020年04月19日  内田 光生伝道師(田名部教会) 
題名 「私は主を見ました」   聖書 ヨハネによる福音書 20章18節   2020年04月19日  中村 清牧師 
題名 祝福の基となる   聖書 創世記47章1~10節   2020年04月04日  中村 清 牧師 
題名 栄光を現す時   聖書 ヨハネによる福音書 17章1節~5節   2020年04月04日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 真の救い主イエス   聖書 ルカによる福音書 13章31節~35節   2020年03月07日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 真理はあなたたちを自由にする   聖書 ヨハネによる福音書 8章31節~38節   2020年02月11日  中村 清 牧師 
題名 神の恵みの秘密   聖書 マタイによる福音書 2章16節~18節   2020年01月12日  鳴坂 明人 牧師 
2019
題名 神のみわざを思い巡らす   聖書 ルカによる福音書 1章57~80節   2019年12月09日  中村 清 牧師 
題名 開かれた人生   聖書 マルコによる福音書 7章31節~37節   2019年11月09日  中村 清 牧師 
題名 神の豊かな憐れみと恵み   聖書 ルカによる福音書 13章10節~17節   2019年10月19日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 幸いな人生   聖書 創世記47章27節~31節   2019年09月08日  中村 清 牧師 
題名 神のとりなし   聖書 ルカによる福音書 13章 6節~9節   2019年08月11日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 いらだたず、恨みを抱かない   聖書 創世記41章 50節~52節   2019年07月20日  中村 清 牧師 
題名 今、やるべきこと   聖書 ルカによる福音書 12章 54節~59節   2019年06月08日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 目を上げる   聖書 創世記39章 1節~10節   2019年05月12日  中村 清先生 
題名 わたしに従いなさい   聖書 ルカによる福音書 5章27節~32節   2019年04月24日  内田 光生 神学生 
題名 ここから離れることなく(「いそご 」 113号)   聖書 ルツ記2章4節~13節   2019年04月13日  中村 清牧師 
題名 信仰の遺産(「いそご 113号」)   聖書 ルカによる福音書 12章13節~21節   2019年04月13日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 備えある信仰   聖書 ルカによる福音書 12章35節~40節   2019年03月16日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 神の国は近づいた   聖書 マルコによる福音書 2章13節~17節   2019年02月12日  中村 清 牧師 
題名 クリスマスの奇跡   聖書 マタイによる福音書 1章 18節~25節   2019年01月16日  鳴坂 明人 副牧師 
2018
題名 教会の発展と成長   聖書 使徒言行録9章26節~31節   2018年12月10日  中村 清 牧師 
題名 死は終わりでもなく、始まりでもない   聖書 コリントの信徒への手紙1 15章35節~49節   2018年11月15日  内田 光生 神学生 
題名 世界宣教 ~ひとりの人から~   聖書 使徒言行録 16章11節~15節   2018年10月15日  中村 清 牧師 
題名 主イエスの仲間として生きる   聖書 ルカによる福音書 12章8~12節   2018年09月18日  鳴坂 明人牧師 
題名 落穂拾い   聖書 ルツ記2章 1節~3節   2018年08月16日  中村 清 牧師 
題名 神の知識と人の知識   聖書 ルカによる福音書 11章45~54節   2018年07月07日  鳴坂 明人 牧師 
題名 神のいつくしみを聞く   聖書 ルツ記1章 1節~6節   2018年06月13日  中村 清 牧師 
題名 自分の内側と外側   聖書 ルカによる福音書 11章37~41節   2018年05月13日  鳴坂 明人牧師 
題名 収穫は多いが   聖書 マタイによる福音書 9章35~38節   2018年04月21日  中村 清牧師 
題名 澄み切った目と信仰   聖書 ルカによる福音書11章33~36節   2018年04月21日  鳴坂 明人副牧師 
題名 八日目の顕現   聖書 ヨハネによる福音書 20章19節~29節   2018年04月21日  中村 清牧師 
題名 信じる者は私の業を行う   聖書 ヨハネによる福音書 14章11~15節   2018年03月10日  中村 清牧師 
題名 ヨナとソロモンに優るもの   聖書 ルカによる福音書11章29節~32節   2018年02月10日  鳴坂 明人副牧師 
題名 この種のものは   聖書 マルコによる福音書 9章29節   2018年01月13日  中村 清牧師 
2017
題名 救いの完成   聖書 マタイによる福音書 1章1節~17節   2017年12月10日  中村 清牧師 
題名 聖書のみ 信仰のみ   聖書 ガラテヤの信徒への手紙 2章16節   2017年11月11日  内田 光生神学生 
題名 聖霊と悪霊   聖書 ルカによる福音書 11章14~23節   2017年10月07日  鳴坂 明人副牧師 
題名 石を取りのけなさい   聖書 ヨハネによる福音書 11章38節~44節   2017年09月09日  中村 清牧師 
題名 祈りを聞いて下さる神   聖書 ルカによる福音書11章5節~8節   2017年08月12日  鳴坂 明人副牧師 
題名 主イエスのリトリート   聖書 ヨハネによる福音書 10章40節~42節   2017年07月22日  中村 清 牧師 
題名 祈ることを教えてください   聖書 ルカによる福音書 11章1~2節   2017年06月18日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 告白と礼拝   聖書 ヨハネによる福音書 9章35~41節   2017年05月13日  中村 清牧師 
題名 主の聖餐   聖書 コリントの信徒への手紙一 11章23~26節   2017年04月16日  内田 光生 神学生 
題名 主がわたしにしてくださったこと   聖書 ヨハネによる福音書 9章1~11節   2017年04月16日  中村 清 牧師 
題名 天国の名簿   聖書 ルカによる福音書 10章17~20節   2017年04月16日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 知るべきこと   聖書 ルカによる福音書 10章21~24節   2017年03月14日  鳴坂 明人副牧師 
題名 他では聞けない話   聖書 ヨハネによる福音書 7章40節~53節   2017年02月11日  中村 清牧師 
題名 主のはしための信仰   聖書 ルカによる福音書1章26~39節   2017年01月14日  鳴坂 明人副牧師 
2016
題名 待つこと   聖書 マタイによる福音書 24章45~51節   2016年12月10日  中村 清牧師 
題名 聖なる者とされている   聖書 コリントの信徒への手紙一 6章1~11節   2016年11月12日  内田 光生神学生 
題名 永遠の命のために働きなさい   聖書 ヨハネによる福音書6章22~30節   2016年10月11日  中村 清 牧師 
題名 イエスを歓迎する   聖書 ルカによる福音書 9章51節~56節   2016年09月11日  鳴坂 明人副牧師 
題名 われに来よ   聖書 ヨハネによる福音書5章31~40節   2016年08月18日  中村 清 牧師 
題名 最も偉い者とは   聖書 ルカによる福音書 9章43節~48節   2016年07月16日  鳴坂 明人副牧師 
題名 つぶさに見よ   聖書 ヨハネによる福音書 4章31~38節   2016年06月11日  中村 清 牧師 
題名 イエスの十字架と栄光   聖書 ルカによる福音書 9章28節~36節   2016年05月07日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 イエスとは誰か   聖書 ルカによる福音書 9章18節~20節   2016年04月20日  鳴坂 明人副牧師 
題名 十字架につけられる前のイエス様   聖書 マタイによる福音書 27章27節~31節   2016年04月19日  内田 光生神学生 
題名 新たな命が開かれる   聖書 マルコによる福音書 7章31~37節、イザヤ書35章3~6節   2016年04月19日  中村 清 牧師 
題名 僕となられた神   聖書 ヨハネによる福音書 13章10節~17節   2016年03月13日  中村 清 牧師 
題名 溢れるばかりの恵み   聖書 ルカによる福音書 9章 10-17節   2016年02月13日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 新しい年の歩み  ~エリコの城壁~   聖書 ヨシュア記6章   2016年01月16日  中村 清 牧師 
2015
題名 イエスに会ってみたい   聖書 ルカによる福音書 9章 7-9節   2015年12月12日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 イエス様は、死に勝利された   聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章50~58節   2015年11月08日  内田光生 神学生 
題名 あなたがたの光を輝かせなさい   聖書 マタイによる福音書 5章 13-16節   2015年10月10日  中村 清 牧師 
題名 信仰と救い   聖書 ルカによる福音書8章40~48節   2015年09月13日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 主にあって堅く立つ   聖書 フィリピの信徒への手紙4章1~4節   2015年08月08日  中村 清牧師 
題名 悪霊からの解放   聖書 ルカによる福音書8章26~33節   2015年07月11日  鳴坂 明人副牧師 
題名 イエスという神   聖書 ルカによる福音書8章22~25節   2015年06月13日  鳴坂 明人副牧師 
題名 命をかけた救い   聖書 フィリピの信徒への手紙2章17~30節   2015年05月10日  中村 清牧師 
題名 神の言葉を聞いて行う者   聖書 ルカによる福音書 8章19節~21節   2015年04月26日  鳴坂 明人牧師 
題名 不平や理屈を言わず   聖書 フィリピの信徒への手紙2章12~18節   2015年04月19日  中村 清牧師 
題名 あなたは何と答えるか   聖書 マタイによる福音書26章57~68節   2015年03月08日  中村 清牧師 
題名 われらの祈り   聖書 ダニエル書9章1~5節   2015年02月09日  中村 清 牧師 
題名 激動の世界の中で   聖書 ダニエル書7章1~7節   2015年01月10日  中村 清牧師 
2014
題名 心を一つにして   聖書 使徒言行録2章42節~47節   2014年12月14日  中村 清牧師 
題名 あなた方の手で渡しなさい   聖書 マタイ 14章13~21節   2014年11月16日  中村 清 牧師 
題名 死は終わりではない   聖書 ヨハネによる福音書 10章39~42節   2014年11月02日  中村 清 牧師 
題名 世界の救い主   聖書 ヨハネによる福音書4章39~42節    2014年10月12日  中村 清 牧師 
題名 偉大な者   聖書 ルカによる福音書7章24~30節   2014年09月14日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 感謝して生きる   聖書 フィリピの信徒への手紙1章3~7節   2014年08月09日  中村 清 牧師 
題名 それゆえ、わたしは   聖書  ダニエル書4章31~34節   2014年07月13日  中村 清 牧師 
題名 老人は夢を見、若者は幻を見る   聖書  使徒言行録2章14~16節   2014年06月08日  中村 清 牧師 
題名 この三つの愛に生きる   聖書 マタイによる福音書2章36~40節   2014年05月11日  中村 清 牧師 
題名 不安の正体   聖書 ダニエル書2章31~45節   2014年04月13日   中村 清 牧師 
題名 まさかわたしのことでは   聖書 マルコによる福音14章12~22節   2014年03月30日  中村 清  牧師 
題名 キリストに根を下ろす   聖書 ダニエル書二章   2014年03月09日  中村 清 牧師 
題名 善き力に囲まれて   聖書 ダニエル書一章   2014年02月09日  中村 清 牧師 
題名 求めよ、さらば与えられん   聖書 マタイ福音書7章7~12節   2014年01月12日  中村 清  牧師 
2013
題名 闇を照らす光   聖書 ルカ福音書1章46~56節   2013年12月08日  鳴坂 明人 副牧師