横浜磯子教会


タイトル:「収穫は多いが」 聖書箇所:「マタイによる福音書 9章35~38節」

 本日は、10月第1主日「世界聖餐日・世界宣教の日」と定められています。日本基督教団では、宣教師を14ヶ国30名(今年7月現在)派遣しています。逆に海外から遣わされて日本で宣教しておられる宣教師(教団受入宣教師)が67名おられます。宣教師は、教会で働いておられる方だけでなく、広く教育、福祉の働きをされている方もおられます。日本の宣教活動がこのように、多くの宣教師とその宣教師たちを送り出している教団・教会の祈りに支えられていることを覚えたいと思います。

 マタイによる福音書9章38~38節には主イエスの宣教活動が語られていますが、35節には三つの動詞が使われています。「会堂で教え」「宣べ伝え」「癒された」と。この三つは、主イエスの宣教活動の内容であり教会の大切な働きです。この3つの働きは「宣教」という言葉で言い表すことができます。宣教とは、会堂で教えること(教育)、宣べ伝えること(伝道)、あらゆる病気や患いを癒すこと(奉仕)、つまり、教育、伝道、奉仕を宣教と言うのです。教会のこの3つの働きのバランスも重要です。健全な教会はこの三つの働きがバランスよく行われているとも言われます。

 マタイによる福音書では、この9章35節とほとんど同じ言葉が4章23節に語られています。4章の終わりと9章の終わりにこの言葉が置かれています。この言葉の間に置かれているのが、5章から始まる山上の説教(教え)と7章から始まる山上の説教の教えに基づいた主イエスの宣教活動が記されています。それらをこのみ言葉は囲い込んで一つの段落を作っているのです。そして10章から新たな段落に入るのです。この新しい段落は、主イエスの活動が弟子たちの働きとなっていくという段落です。弟子が選ばれ、その弟子たちが主イエスの働きを受け継いでいくための準備段階です。そして主イエスの十字架と復活、ペンテコステによって聖霊の働きにより使徒たちと教会の働きになっていくのです。

 今、私たちはこの日本でどのような宣教を展開していったらよいのでしょうか。そのことを深く考えさせられますが、その原点はこの9章35節のみ言葉なのです。

 36~38節には、その具体的な働きが語られています。ここで四つの動詞に注目してみたいと思います。

 第一の動詞、それは「見て」(36節)という言葉です。これは「じっと見続ける」という意味です。主イエスは、この社会の問題、またそこで生きる人たちの姿、その奥にある問題をじっと見続けたのです。何がそこで問題となっているか、なぜそのような状況に至ってしまっているのか。主イエスがここで見ているのは「羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」群衆たちの姿でした。

 ここで語られている「打ちひしがれている」(ギリシャ語・エスキュルメノイ)という言葉は、皮を剥がされずたずたにされた状態、無慈悲な者に苦しめられている人など、激しく苦しめられている状態を表す言葉です。当時の羊飼いたるユダヤ教の指導者たちは、律法に関する専門的な議論で人々を当惑させ、助け導くどころか激しく苦しめていたのでした。

 主イエスは、この姿を見続け、この根本にある人間の罪を見つめていました。あらゆる不幸、苦しみ、悲惨、その根本には罪の問題があります。なぜ世の中にこんな悲惨なことが起こるのか? そう私たちは問います。しかし、そのように言う場合、この罪の問題が表面的にしか見えていないのです。主イエスのようにじっくり見続けるとき、その根底に潜む罪の問題が見えてきます。神を見失っている人間の姿、そのために罪の奴隷となっている状態。自分たちの欲のために生きる人間の姿、それらがもたらす悲惨な状況。その罪から抜け出すことは人間の力では無理なのです。

 第二点目の動詞、それは「深く憐れまれた」(スプランクリゾマイ)。この言葉は、内臓をかき乱される深い感情を表す言葉です。ギリシャ人たちは、この言葉を神に対して決して使いませんでした。なぜなら、心を痛められるような神など神ではありえないと考えていたからです。すべてを超越している偉大な神が、人間の悲惨さを見て深く心を痛めるなどありえないしそのようなことを神がするはずがないと考えていたからです。主イエスは、人間のこのような考えとは違いこの悲惨な状態を見て、深く憐れまれたのです。その憐れみが十字架となって現れているのです。

 第三の動詞、「言われた」です。何を言われたのか。それは「収穫は多いが、働き手が少ない」と。このような悲惨な状況の中で、そこで手助けするために、働く人がいないのです。こんな状態では、少数の者がいくら働いても収穫を得ることはできません。

 この言葉は、当時のユダヤ教の宗教家たちと主イエスの見る目が大きく違っていることを表しています。当時のファリサイ派たちは、一般の人たちを焼き捨てるもみ殻と見ていましたが、主イエスは刈り入れて保存すべき収穫と見ていました。またファリサイ人たちは、誇りをもって罪びとの滅亡を待ち望みましたが、主イエスは、愛をもって罪人の救いのために命をささげました。

 主イエスは「収穫は多いが、働き手が少ない」と。神の畑には多くの収穫が用意されています。神の目をもって見ないと、神の言葉を聞かないとその現実を知ることはできません。人間の目には悲惨な状況しか見えないからです。「ここも神の御国なれば」(現行讃美歌90番)なのです。ここも神の収穫豊かな畑なのです。私たちは、み言葉に生きていないがゆえに、この神の現実を覚えることなく「こんな状況では教会の将来はない」「10年後の教会は悲惨だ」と嘆いているだけなのです。しかし、教会は私たちのものではありません。私たちがそのように決めつけることではありません。教会は神のもので、そこに神が働いておられるのです。神のみ言葉を食べないで生きると、人間の悲惨さしか見えてこないのです。

 主は、働き手がいないなら諦めなさいとは言われません。あなたがしなさいとも言われません。
 
 四つ目の動詞「収穫の主に願いなさい」と言われます。それは主に祈りなさいということです。必要なものは主が与えてくださいます。必要な人を主が起こされます。聖霊なる神が働かなければ、働き人は起こされません。キリストの弟子たちが力強く働き出したのは、聖霊が注がれ、新たに起こされたからです。それまでの弟子たちの姿は、主イエスを失い腑抜けの状態になっていました。そんな弟子たちが、聖霊を受けて新たにされ大きく立ち上がったのです。あのペンテコステにおいて。あの時も、弟子たちの祈りがありました。

 これら四つの動詞に注目しましたが、これらすべて私たちにはないものばかりです。「しっかりと見続けていない」「深い同情がない」「神の言葉をしっかりと聞いていないゆえに私たちの言う言葉はネガティブ」「祈りがない」。そしてこの根底にあるのは罪です。罪の問題は人間の手で解決できません。だからこそ、主に願うのです。だからこそ信仰が必要なのです。そんな私たちに、主は「収穫の主に願いなさい」と言われます。

 10章からは新たな段落に入ります。ここからは、弟子たちが選任され、主の働きが弟子たちに委ねられます。そのための弟子たちが、神によって与えられる(起こされる)のです。ルカによる福音書6章12節では、弟子たちの選任のために主は徹夜して祈られたとあります。周囲を見回して働き手がいないと嘆くのではなく、主が働き手を起こしてくださる。そして、この働き手たちが刈り取る収穫は、すでに神によって用意されているのです。

 先週の水曜日(9月27日)、私は夏休みをいただき、在日大韓基督教会横浜教会の祈祷会に出席しました。午後7時から始まる祈祷会は、30分前頃から賛美が始まり、その間にも勤務帰りの方々も集まってきます。とても力強い賛美に励まされました。そして祈りの時には、私が出席したことを覚えてくださり、教会の皆さんが横浜磯子教会のために祈ってくださいました。このようにして私たちの教会も祈られているのです。

 本日は世界宣教日。主の働きのために、このように多くの人たちが起こされているのです。十字架と復活の主は、私たちを罪の中から救い出し、新しい復活の命の中に生かしてくださいます。新たな働き人を起こしてくださいます。

(2017年10月1日礼拝説教より、教会報「いそご 」112号掲載)
日付2018-04-21
号数 第 112 号 掲載
メッセンジャー中村 清牧師

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題名 命をかけた救い   聖書 フィリピの信徒への手紙2章17~30節   2015年05月10日  中村 清牧師 
題名 神の言葉を聞いて行う者   聖書 ルカによる福音書 8章19節~21節   2015年04月26日  鳴坂 明人牧師 
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題名 死は終わりではない   聖書 ヨハネによる福音書 10章39~42節   2014年11月02日  中村 清 牧師 
題名 世界の救い主   聖書 ヨハネによる福音書4章39~42節    2014年10月12日  中村 清 牧師 
題名 偉大な者   聖書 ルカによる福音書7章24~30節   2014年09月14日  鳴坂 明人 副牧師 
題名 感謝して生きる   聖書 フィリピの信徒への手紙1章3~7節   2014年08月09日  中村 清 牧師 
題名 それゆえ、わたしは   聖書  ダニエル書4章31~34節   2014年07月13日  中村 清 牧師 
題名 老人は夢を見、若者は幻を見る   聖書  使徒言行録2章14~16節   2014年06月08日  中村 清 牧師 
題名 この三つの愛に生きる   聖書 マタイによる福音書2章36~40節   2014年05月11日  中村 清 牧師 
題名 不安の正体   聖書 ダニエル書2章31~45節   2014年04月13日   中村 清 牧師 
題名 まさかわたしのことでは   聖書 マルコによる福音14章12~22節   2014年03月30日  中村 清  牧師 
題名 キリストに根を下ろす   聖書 ダニエル書二章   2014年03月09日  中村 清 牧師 
題名 善き力に囲まれて   聖書 ダニエル書一章   2014年02月09日  中村 清 牧師 
題名 求めよ、さらば与えられん   聖書 マタイ福音書7章7~12節   2014年01月12日  中村 清  牧師 
2013
題名 闇を照らす光   聖書 ルカ福音書1章46~56節   2013年12月08日  鳴坂 明人 副牧師